労働者層の増大によって結成された労働組合
わが国では、日清戦争前後から労働運動が台頭し、しばしば労働争議が起こるようになった。当時は、殖産興業・富国強兵政策の下で、軍備拡張にともなう労働者層の増大がみられた。また、物価の騰貴によって人々の生活は苦しかった。
そのような状況の下で労働組合が結成され、労働運動がおこなわれた。しかし、当時、労働運動は公認されておらず、治安警察法(1900年)・治安維持法(1925年)によって、しばしば激しい弾圧を受けた。
第二次世界大戦後の一連の民主化政策の下で、労働組合の育成が進められ、労働運動も活発に展開されるようになった。わが国の労働組合は、一つの企業の労働者によって組織される企業別組合を特色としている。
しかし、企業別組合は、欧米にみられる職業別組合・産業別組合と比較して、交渉能力その他の点で力が弱いので、全国組織に加入しているものが多い。
今日では、これまでナショナル・センターを形成していた日本労働組合総評議会(総評)・全日本労働総同盟(同盟)・中立労働組合連絡会議(中立労連)・全国産業別労働組合連合(新産別)などにかわって、1989年に日本労働組合総連合会(連合)・全国労働組合総連合(全労連)・全国労働組合連絡協議会(全労協)が発足した。
第二次世界大戦後のわが国の労働関係の原則は、日本国憲法によって確立された。すなわち、第27条で勤労権、第28条で団結権・団体交渉権・争議権(労働三権)を保障した。これらの権利を総称して労働基本権といい、これに基づいて労働基準法、労働組合法、労働関係調整法、その他の労働法が制定された。
労働基準法は、労働者保護の中心法規であり、「労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない」という原則に立って、賃金・労働時間など労働条件について最低基準を定めている。また、この法律の施行を監督するために、労働基準局、労働基準監督署が設置されている。
労働条件の基準に関するものとしては、このほかに最低賃金法、家内労働法が制定された。
労働組合法は憲法第28条に定められた労働三権を具体的に保障したものである。
この法律は、労働者が自主的に労働組合を組織し、団体交渉をおこない、労働協約を結び、また、その目的を達成するための争議行為をおこなうことを認めている。争議行為は、正当なものである限り、刑事上・民事上の責任を問われない。このほか、使用者の組合活動に対する妨害などは、不当労働行為として禁止している。労働組合法はまた、労働関係の調整のために、労働委員会の設置を規定している。
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